プロフィール

はじめまして

心理カウンセラー mari です。

アダルトチルドレン・不安障害・対人恐怖・愛着障害・抑うつ症状など
生きづらさ心理的症状に悩む方へ、カウンセリングを行っています。

カウンセリングを受けるときには、カウンセラーとの相性がとても大切です。

信頼関係を大切にお話を進めていきますが、「人を心から信頼すること」に不安を感じられるのではないでしょうか。

少しでも安心してお話しいただけるように、かつて私がどんな悩みを抱え、どんな風に乗り越えてきたのかを書き記しました。

大阪府出身。

機能不全家族で育ち、30年にわたり不安障害強迫性障害で苦しみました。

一児の母。(成人済み)

ひとり息子の自立を楽しみにしていた反面、いざその時が近づくにつれ、役割を終えてしまう恐怖を感じていました。

パニック症状・対人恐怖・人への不信感・見捨てられ不安・抜毛症・依存・子離れ

多くの問題を抱えているにも関わらず、自分と向き合わずに生きてきた結果、息子の交通事故をきっかけに心が崩壊

抑うつ状態になり強制終了。

幼いころ無意識に決めた「感じるのをやめた」こと。

生きづらさ」にさえ気づかないほど鈍っていた感情。

生きていくために身につけた自分を守る歪んだ心のクセ

自分の力では抑えきれないほどの不安や恐怖を感じる大きな困難にぶつかったことによって、アダルトチルドレンの生きづらさにやっと気づきました。

絶対に変わる
そう決めてもがき苦しむ中、心理療法を通して自分への向き合い方を知りました。

あらゆる問題や症状が、パズルのピースが埋まっていくようにつながることに衝撃を受ける。

劇的に効果があり、あっという間に心理的症状を克服

自分でも驚くほどの心の回復を体感しました。

私自身が救われた経験から、根本解決に向かう心理セラピーを習得。

心と身体のつながり、マインドフルネスを得意とする。

傷ついた自分を暗闇から救い出して
自分を大切にする心のサポート
🌱ココロの根っこセラピーをカウンセリングで提供しています。

▼もっと詳しいプロフィールはこちら


大阪府出身。両親と姉の4人家族。
機能不全家族で育った幼少期。

父からの暴力。
言葉の暴力に加え、口答えをすればすぐ手が飛んでくる

それでも私は父によく反発し、殴られていました。

「俺はお前らを殴って育てた」
どこか自慢げにいう父。

床で正座は日常茶飯事。
何日も無視される。ひとりぼっちで家に取り残される。時に血を流すほどの暴力

右耳の聴力が弱くなり
「俺が叩いたせいだろうか…」
父は気にしたそうですが、それでも終わらない暴力。

身体的心理的にも暴力に支配された環境でした。

家族の中に役割があるとしたら
私は怒られる役目。

「なんでお前は俺を怒らせる?」
父の口癖でした。

「怒らせた私が悪い…」
「お父さんが怒ってるのは私のせい…」

くり返す父との衝突で、私の中には消えることのない罪悪感が植えつけられていきました。

私は、なぜか自分が罪深い。
そんな加害者意識を持ちながら大人になりました。

いつも泣いている母がかわいそうで、
「私が反抗することで母を守れる」と思っていたのかもしれません。

無価値な自分でいることで、母を守れる」

子ども心に無意識に決めたこの決意は、その後の私自身を苦しめます。

アダルトチルドレンの役割の一つ
スケープゴート(生贄・悪役)ですね。

「あんたは殴られるのに歯向かっていく」
大人になってから、家族は口を揃えて言いました。

怒りの感情が強い、本当に反抗的な子どもだったんです。

子どもながらに理不尽さへの怒りを父にぶつけ続けましたが、かなうはずなく惨敗

「女の子だから顔だけはやめて」という母の言葉も届かず、中学生まで父の暴力は続きました。

痛みと消えない恐怖が結びつきます。

父が怖くて助けてくれない母、父の顔色を常にうかがい反抗期さえなかった姉。

誰もが父の機嫌の変化にビクビク怯えていたんだと思います。

私の味方は誰もいない
そう思っていました。

一番身近な存在である母や姉が助けてくれなかった悲しみは、「助けなんか求めてもムダ」その後の人への不信感につながります。

ことごとく押さえつけられた怒りは、いつからか我慢へと変わっていきました。

大人になった私は、怒りをどこかに置いてきたような感覚さえありました。

悪循環をくり返す強迫性障害のひとつです。

子どもは不安や恐怖から、自分の守り方がわかりません。
私は、無意識に自分を傷つけること安心感を得ていました。

「髪を抜くのをやめなさい」
その行為だけをやめさせようとする両親。

「もう抜きません」と約束するまで、寝ることも許されず、夜中まで正座をさせられました。

“どうして髪を抜いたのか?”ではなく

“なんて言えば、この場から解放され、お父さんは許してくれるのか?”

自分の気持ちよりも、ひたすら父親が望む答えをさがしていました。

この抜毛症には長年苦しむことになり
時には、ウィッグなしでは外に出られないほど、悪化することもありました。

「もう抜きたくない」
わかっているのにやめられない。
自己嫌悪で自分を責め続けました。

思春期、パニック症状はある日突然起こりました。

授業中に不安と緊張でサーっと血の気がひき、息がうまく吸えない、心臓がそこにあるのがわかるような激しい動悸、いても立ってもいられない震え、パニックで逃げだしたくなりました。

当時13歳。
今思えばこれが対人恐怖不安障害の始まりでした。

“またあの感覚に襲われるんじゃないか”

異常なほどの強い恐怖を感じて、仮病を使って学校を休むこともありました。

「何を犠牲にしてでも逃げたい」
パニック症状はそんな感覚でした。

小学生まで活発で、学級委員をするような子どもでしたが、思春期の感情の変化や威力は凄まじいんです。

たびたび起こるパニックに、どんどん人目が怖くなり、自信をなくしていきました。

“もう消えてしまいたい…”

自分の存在の恥ずかしさ
誰にも知られたくない恥ずかしさ
そんな自分への悔しさ

誰にも相談できずに苦しみました

当時、自分に起こっている症状が何なのかを知るすべはありませんでした。

のちに知ることになりましたが、姉も極度のあがり症で苦しんだそうです。

アダルトチルドレンの二次障害として、不安障害などの精神疾患にかかりやすいという点で、私たち姉妹に共通していたのではないでしょうか。

家庭の中で父親の機嫌をうかがい、不安や恐怖に怯えている子どもにとって対人恐怖は、自然な心の反応だと言えます。

社会に出た私は、はじめて自分の存在を認めてもらえているような気持ちになりましたが、笑顔の仮面を身につけたのはこの頃。

「いつもニコニコ元気な子」
私はこの笑顔の仮面をはずせなくなりました。

笑うこと」で、自分の本当の感情をどんどん切り離していったのです。

精神的に不安定な父は仕事を辞め、お酒におぼれる日々。自殺未遂。

「私が母を助けたい」
仕事をかけもちしながら朝から晩まで働きました。

役に立っていると感じることで、家族の中での自分の居場所を確保していました。

“仕事をしない自分はダメ”
“役に立たない自分はダメ”

役に立たなければ私の居場所はない、と思っていたのです。

無価値な自分でいること」は母を守るための不器用な愛情表現。

母を助けたい」は無価値な自分を埋めようとする自己実現。

この無意識の矛盾な葛藤
いつまでも埋まらない生きづらさの原因のひとつですね。

パニック症状による回避癖がつき、仕事の選択肢は「何がしたいか」よりも「何ならできるか」。

“パニックになりそうな不安な場面を避けること”

予期不安から、これが私の生きていく基準になっていました。

痛みと強く結びついていた恐怖。

歯医者の治療でも、痛みがきっかけでパニックになることが増えました。
(歯医者さんは未だに怖いです…(T . T))

一週間で通えなくなった高校
バイトを一日で辞めたり
就職先を一ヶ月で辞めたことも

パニックになるたびに怖くて逃げました。

不安を先回りして、逃げる癖がついていました。
何をやっても続きません。

“どうしてこんな性格になっちゃったんだろう”
“もう逃げるだけの弱い人間になってしまったんだ…”

「生まれ変わりたいなぁ…」
何度そう思ったことか。

逃げてばっかりの自分自身に絶望していました。

23歳の時に出産。

私は「お母さん」という誰にも奪われない役割を手にいれました。

ずっと欲しかった自分の居場所
ずっと欲しかった無条件の愛

愛に飢えていた私にとって、息子の存在は何よりも特別でした。

自己肯定感が低い人は、子どもを持つことで自分を肯定することが多いと言われています。

これは、無条件に自分を必要としてくれる子どもに自分の存在価値を感じているからです。

条件なしでは自分の存在さえ肯定できない。
子どもへの依存心が強いのです。

それでも私は自分の居場所ができたことが、何よりも嬉しかったんです。

借金やギャンブル、義家族に恨まれながら離婚。

「息子のために強くなる」
「もう逃げるのをやめる」

このとき心に決めました。
今思えば、当時も抑うつ状態でした。

眠れず、食べられず。
40キロを切るほどの病的な体重の減少。

ただ、息子の存在は
何よりも大きなエネルギーでした。

不安定な心を何とかしようと、はじめて心療内科へ。

離婚を機に投薬治療
薬を飲んででも変わると決めた私は、フィットネス業界という新しい世界へ。

大きな転機になりました。

「人を元気にする仕事」
「人に笑顔を与える仕事」
新しい世界は、私を強くしました。

息子と二人で生きていく責任は、本当に大きなエネルギー源でした。

運動なんて全くしてこなかった私でしたが、身体の変化心にも変化をもたらしたことは間違いありません。

一方、笑顔の仮面が強化されていくことに。

「疲れていても笑顔」
「体調が悪くても笑顔」
「何があっても笑顔」

いつでも元気いっぱいで笑顔でいること
レッスンは笑ってやり抜くこと
しんどくても体調が悪くても笑顔でいること

自分の体調やメンタルにはフタをしてでも、元気と笑顔はデフォルト。

「元気を与える仕事」
フィットネス業界では、あたりまえのことでした。
長年従事していく中、強化され、しみついていきました。

ただ、何があっても心折れてる場合じゃない。
「何があっても私はもう逃げない」
心に決めた約束は果たされていました。

対人恐怖によるパニック症状はなくなったものの、パートナー関係においても見捨てられ不安という心の苦しみが無意識の中で現れていました。

  • いつか絶対に見捨てられる
  • 本当の私を知られたら嫌われる
  • 人はいつか離れていくものでしょ
  • どうせ私は愛されない

心の根っこには、いつもこんなスネた考えを持っていました。

離婚後、恋愛もしたし、再婚を考えたこともありました。

ですが、近づけば近づくほど

愛情を素直に受けとらなくなったり
相手を試すようなことを言ったり
嫌なとこ探しをしたり

失う怖さから自爆。
見捨てられる前に自分から関係をぶち壊すことを繰り返していました。

「ほーら、やっぱりね」
予言の自己成就ですね。
そんな未来を自分で作り出していました。

警戒心がめちゃくちゃ強いんです。

優しくて、惜しみなく愛をくれる人と一緒にいると、不安になって逃げたくなる。
大切にされると怖くなるんです。

逆に依存心の強さから、一見自立しているかのような自己愛の強い人に惹かれる。
愛をくれない支配的な人を好きになって執着する。

そう、父親によく似た人です。
大切にされることはありません。

親からの愛はお金だと本気で思ってたくせに、パートナーからの贈り物には何の愛も感じない

矛盾だらけの愛情に対する渇望感を、ずっと抱えていました。

自分の存在価値に、本質的な自信を持っていなかったのです。

心の健康に惹かれ独立、ヨガ講師に。

誰かのために」と思ってはじめた心理学にどっぷりハマり、夢中になって学びました。

心に向き合おうとしていくものの、何十年もフタをし続けた根っこ抵抗します。

現にこの時まで、親からの暴力なんて忘れていたんです。

学びの中で出てきた「アダルトチルドレン

言葉は知っていましたが
“私には無関係”
本気でそう思っていました。

ところがどっこいです。
学びを進めると、少しづつ幼い頃の記憶がよみがえりました。

“私って、アダルトチルドレン?”

アダルトチルドレンであることを自覚するものの、知識だけでは深い傷が癒されることはありませんでした。

  • たいしたことじゃない、もう昔のことなんて気にしていないし
  • そもそも生きづらさなんて感じてないし
  • いやいや、私は親から愛されてるし

自分の心の傷つきを軽視するクセが染みついていて、それほど重要だとも思いませんでした。

とにかく感情が鈍っています、記憶も曖昧

解離(かいり)という状態だったのかもしれません。
幼い頃のつらい記憶を切り離す、心の防衛反応です。

200時間以上、多額のお金を費やして心理学を学んだものの、心の深いところにあるほどたどり着くことができません。

何枚もの修了証が欲しかったんじゃない。
私は答えが欲しかったんです。

この時は、本当の心の回復には至りませんでした。

のちに教わり、理解しました。
自分の感情を受け止める
心の土台が必要だと。

つらい記憶を掘り起こすことは、心のフタを開けるということ。
傷を見つけ出して、かさぶたを剥がすってことですね。

受け入れる器がなかった私自身の未熟さです。

「だからどうする」の答えが見つからず
思い出した記憶と感情の行き場がなく苦しみました。

「ある日突然、大切な息子を失うかもしれない」

“人生の全ての出来事に意味がある”
なんて言うけれど、突然の悲劇は起こりました。

“不安、恐怖、悲しさ、寂しさ

息子がバイク事故にあったことで、揺らしたくなかった感情が強制的に揺れました

ずっとずっと閉じ込めていた感情が、泉のように湧いてきました。

それでも感じたくないと抵抗する心

本当は悲しいのに
本当は怖いのに
本当は不安なのに
本当は悔しいのに

ICUに呼ばれ、医師の説明を聞いても、涙を流さない自分を異常だと感じました。

現実を受け入れられず、休むこともできず、大丈夫なフリをして仕事に行く。

不安に押しつぶされそうなのに、誰にもこの気持ちを話そうともしない

息子が苦しんでるのに、仕事してヘラヘラ笑って私何やってんだ。

何もできず情けなくて無力でしかない
私を保つ何かが壊れ、抑うつ状態に。

あっという間に体重は7キロ減り
食べることも
眠ることも
テレビを見ることも
本を読むことも
なにもできなくなりました。

「私が泣いてても仕方ない」
「今できることは仕事だけ」
そう言い聞かせて、仕事だけを続けていました。
しんどくても笑って仕事をすることには慣れっこです。

現に、「実はこんなことがあった」と、やっと人に話せるようになるまで、誰にも気づかれることはありませんでした。
ある意味才能とも言えますね。

何よりも大切な息子の命が脅かされる事態に、感情は爆発。

感じたくない心 vs あふれ出る感情
もう心は限界でした。

不安や恐怖が体の感覚とつながっていることに、私ははじめて気づきました。

薬の作用を超えてくるほどの不安と恐怖。

胸がえぐられる苦しいザワザワ。
ずっと血の気が引いている不快な感覚。

私がずっと逃げてきたあの感覚 
何に変えてでも避けたいあの感覚
そう、あのパニックの感覚でした。

抑えようとしても、止まることのない感覚。
ずっとずっと逃げてきたので、不安や恐怖への向き合い方がわからなかったんです。

死にたいんじゃない
生きているのが苦しい

「あぁ、私の人生終わったな…」
本気でそう思いました。

初めて味わう
これが人生のドン底

“息子が事故にあったのは私のせいだ”

“私が苦しめば息子が助かるんじゃないか”

“幸せな思いをしてごめんなさい”

わきあがってくる自責罪悪感
自分の中に原因探し。

私が苦しんでいれば息子が助かる、そう本気で考えていた私は、どんどん痩せていく自分に安心感さえ感じていました。

片づけなければ…
持ちすぎている…

取り憑かれたように、家中から捨てるものを見つけだしては手放し

唯一の心の支えでもあったパートナーにも自分から別れを告げ、結果的に見捨てられる結末が待っていました。

今思うと異常な行動をとっていました。

もう正常な思考ができる状態ではありませんでした。

「ほら、私なんにも持ってないよ」
いったい誰に示したかったのでしょうか。

もがき苦しみながら、たどりついた心理療法

心の土台の作り方を教わり、ただ信じてひたすら取り組む苦しい日々。

そして
生まれてきたどんな感情もちゃんと感じること

データのように、なかったことにすることも、上書き保存もできないのです。
感情を感じることの大切さを知りました。

“恐怖、不安、悲しみ”
ネガティブな感情にフタをしていたということは

“うれしい、楽しい、幸せ”
そんな感覚さえ鈍っていたということです。

苦しみの渦中で気づいた、今まで逃げてきた感覚は不安や恐怖だったということ。

ずっとずっと身体はサインを出していました。
強制的ではありましたが、衝撃を受けるほどの気づきでした。

不安や恐怖、悲しみや怒り

自分に向き合い、自分を紐解き、ずっと逃げ続けていた感情を感じることは、決して簡単ではありませんでした。

それでも諦めたくない
私は自分を諦めたくありませんでした。

表面上に出てきていた症状は根っこにある心のサインでした。

「気づいて」
心が叫んでいたんです。

長年苦しんだ抜毛症不安障害
気づきもしなかった愛着障害

一見関係のない問題が、根っこは同じだということ。
パズルピースが埋まり、すべてがひとつにつながりました。

心理療法によって、初めてちゃんと向き合った感情たち
私の中の感情が消化されていくのをはじめて体感しました。

これはもう理屈ではなく感覚です。
素直に感情を感じることは、凍りついた塊が溶けていくような感覚でした。

「あぁ、私は父に愛されたかったんだ…

「お父さんみたいな人は、絶対に好きにはならない!」そう心に決めていたのに。

「どうせお父さんには、もう何を言ってもムダ、変わらないでしょ」そう諦めていたのに。

不安や恐怖を紐解くなか
根っこから掘りだしてきたのは、認めたくもない感情でした。

私はいったい誰にあやまっていたんでしょう。
誰に認めてもらいたかったんでしょう。

事実かどうかは重要ではなく、私の目には幸せそうに映らなかった両親の姿。

心のどこかでずっと、私だけが幸せになってはいけない罪悪感を感じていました。

無価値でいることで母を見捨てないでいられる。「おかあさんといっしょ」

私さえ我慢していれば母を守ることができるんじゃないか。
ずっと母を助けたかったんだ…

父親に愛されたかったという嫌悪感さえ抱くほどの感情

自分を犠牲にしてでも助けたかった母親への不器用な愛情

両親がまるで神様であるかのように守りつづけていた不自由なルール

本当は、甘えたかった。
本当は、抱きしめて欲しかった。
本当は、無条件に愛されたかった。

そこにあったのは
ただただ大好きな家族でした。

不思議と怒りも恨みも湧いてはきませんでした。

愕然とするような感情が隠れていましたが、
それさえも素直に感じとることで消化されていきました。

親も未熟でした。

私の両親、そのまた両親もきっと思うような愛情をもらえなかったんです。

両親もアダルトチルドレンだったということ。

同じように傷つき、悩み、解決策にめぐりあえないまま生きてきたんです。

そして誰もが親に愛されたかった
これは理屈ではなく動物的な本能です。

私たち人間は、この世に生まれ、親に依存して育ちます。

幼い頃は親がすべて。生きていくことができません。

人って本当に不完全な生き物だと理解しました。

姿カタチを変え、繰り返し起こっていた問題は、幼い私が生きていくために必死で身につけた心を守る方法でした。

あのときの家族のカタチは、今はもう跡形もなくありません。

不器用な愛し方しかできなかった父。
高齢になった父はアルコール依存症です。

もちろん父自身も壮絶な過去を抱えていますが、自分に向き合わずに生きていく人の末路だと悲しく感じます。

母は自ら変化を起こし、強くなっていました。
いっつも泣いていた、あの時の弱い母はもういません。

無力な私はもういないのです。

アダルトチルドレンは連鎖する
その意味を理解しました。

「この連鎖を断ち切れる」
「やっと自分の人生を生きられる」

真っ暗な闇に、やっと光がさしこみました。

暗闇を知っているからこそを見つけることができるんですね。

ご存知ですか?
夜明け前がいちばん暗いんです。

“もうあきらめよう、私の人生こんなものだ…”
そう思えたほうが楽だったのかもしれません。

とにかく感情が鈍っていた私が、諦めずにここまで来れたのは

父に殴られてもいつも反抗していた、あの負けず嫌いの幼い私が闘っていたのです。

ずっと長い間ひとりで闘っていた、私のなかの幼い戦士を見つけました。

かつて傷ついた
傷だらけの幼い戦士

深く傷ついたあの時みたいに
もう二度と傷つかないように

怖くて震えてたあの時みたいに
恐怖や不安をもう感じないように守ってくれていたんです。

この時はじめて自分自身が心強く頼もしく、そしてなんだかとっても愛おしく思えた瞬間でした。

ここからの心の回復は加速してどんどん進んでいきました。

不安障害に苦しみながらも、心と身体の健康や癒しにこだわり従事しつづけたフィットネス業界ヨガ講師としての18年間

心と身体は、間違いなくつながっています。
あながち間違ってはいませんでした。

「人前になんか立てない」
「薬を飲んでるからできてるだけ」
「本当の私は違う」

これはもう真実ではありませんでした。

私に足りなかったのは、自分に向き合う覚悟
最後の欠けたピースは「行動」でした。

「自分を大切にする」
「無条件の愛」

そんなものきれいごとだと言われても、諦めきれずにいました。

ずっとこだわり続けてきたものの、どういうことなのか腑に落ちないままでした。

今ならはっきりと理解できます。
その重要性も大切さも。

虐待なんて言葉も使いたくなかったし、絶対に認めたくありませんでした。

「仕方がなかった」
本当の感情から目を背けて、そんな言葉で自分を説得していたのです。

暴力は大きな傷を残していました。
「お父さん、殴らないで」
「お母さん、助けて」

惨めな自分可哀想な自分も、悲しい事実心からの願いも。

置き去りにしてきた、傷ついた私をむかえにいきました。
自分を暗闇から救い出せるのは「自分」だけでした。

思うようには愛されなかったという悲しさ寂しさ、そして静かな怒り

心の深いところで、癒しが進んでいきました。

あんなに
「他の何者かになりたい」
「まだ足りない、何か足りない」
探し続けていたのに、気づくと周りの何かで自分を埋めることはなくなっていました。

これが、自分の中の絶対の安心感です。

答えなんて外にはありませんでした。
ずっと探していた答え
ずっとずっと知りたかった答えでした。

今はSNSやインターネット上に、たくさんの知識があふれています。

私がかつて持っていたシンプルな疑問です。

心は見えないから、触れないから、掴みどころがないから、より具体的な解決策を求めたくなるものですよね。

こんな風に考えていないでしょうか?

アダルトチルドレン大国、日本

一節では、日本人の約8割はアダルトチルドレン(AC)だと言われています。

今では、機能不全家族が必ずしもアダルトチルドレンと結びつくとは限らないほど、社会問題として広がっています。

減ることなく増え続ける虐待育児放棄
幸せに育ったと感じている人にさえ起こり得る心の状態です。

アダルトチルドレンだからといって
どうか「かわいそう」で終わらせないで。
その先へ進みましょう。

遅くなんてありません。
私たちはいつからでもいくつになっても
回復して、自分の時間を進めていくことができます。

生きづらさは
準備ができた人から変わっていける

カウンセリングに来られる多くの方は
変わる準備がもうできています。

気づく
第一歩ではないでしょうか。
私はそう信じています。

あとは「行動」に移すだけ。
諦めなければ、必ず変わることができます。

あなた自身が回復することで、その過去の影と変わります。

あなた自身が解放されることで、かわいそうな過去がやっと穏やかな未来へと変わるのです。

心の癒しとは体感すること
腑に落ちる・腹落ちする・心の底から理解するという感覚です。

驚くほど見える世界が変わります⟡.·。

くり返す悩み問題の原因は心の奥深く、根っこにあるのです。

心の根っこを「守る・癒す・育てる
ココロの根っこセラピーの原点です。

心の根っこの育てなおしは、幸せ連鎖のはじまりだと確信しています。

ずっと知りたかった
やっと辿り着いた
心を癒す術

「生きづらさ」に苦しんでいる一人でも多くの方へ、心の回復を届けたい。長年苦しんだ私のミッションです。

自分自身の人生を
本来の自分らしく歩んでいく

想像する自分の未来が、楽しみでたまらない

そんな自分に会いにいきませんか?
諦めないあなたにとことん寄り添い、心の回復を全力でサポートします。

自分を大切にする

腹落ちするまで、心の底から理解できるまでお伝えします。

不安だからこそ、一緒に進みましょう。
不安だからこそ、一緒に根っこの願いを探しましょう。
そこに幸せのカギが必ずあります。

だからこそ
私が大好きな言葉です。

過去に悲しいことがあったから、幸せにはなれないんじゃなく
もう大人になったからこそ、幸せを選ぶことができるんです。

アダルトチルドレンだからこそ、今を超えて前に進みましょう⟡.·

ここまで読み進めてくださったあなたの一歩踏みだす勇気になれることを心から願っています。

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